(177)ハネケ映画を通して現代を考える(19)71フラグメンツ前編・・愛の流れで氷河が融け始めるとき

ミヒャエル・ハネケの第3作『71フラグメンツ』は既に述べた第一作『セブンコンティネンタル』、第2作『べニーズビデオ』の“感情の氷河化”3部作として制作され、71のフラグメンツシーン(カットシーン)は“コミュニケーション不可能”な生き難い社会を、淡々と映し出していく。
上に載せた動画ドイツ語完全版を見ればわかるように、「1993年12月23日19歳の大学生マキシミリアンは、ウイン市内の銀行で3人を射殺、直後に頭を打ち抜いた」という字幕から始まり、前の2作品同様に、実際の事件を題材としていることがわかる。
字幕後に泥沼化するソマリアとハイチのニュース映像が映り、国連とアメリカの希望なき介入を伝える。
そして次の映像フラグメンツでは、ひとりの少年が川を越えてオーストリア密入国し、トラックへ潜り込む。
そのトラックは幹線道路を走行し、ウインへと入ってくる。
カメラを走行するトラックから回したまま、クレジットタイトルが始まる。
クレジットタイトルが終わると唐突に軍の武器庫に忍び込んだ青年が、精通した様子で10丁ほどの拳銃を盗み出すフラグメンツシーンが映し出される。
後でわかるのであるが、この際盗み出された拳銃の一つが回りまわって、学生マキシミリアンの犯行凶器となっていることがわかる。
すなわちこの映画では、一見繋がりのない71のフラグメントシーン(カット)が冒頭の射殺事件へと、まるで疾走するかのように繋がっていく。
トラックでウイン市街へ入ってきた少年は、ドイツ語が全く話せないこともあり、盗みと物乞いで誰とも接触することなく、駅ホームでホームレス生活を始める。
事件の際銀行へ紙幣を届けていた中年警備員の私生活も映し出され、貧困と高熱の赤子の世話で疲れ果てた妻との会話のない暮らしからは、生き難さが伝わってくる。
また事件の際銀行の受付担当女性の日常業務が映し出され、行列して並ぶお客に忙しそうに対応している。
そこに並んでいた身なりの良い老人にも事務的に対応するが、会話から父親であることがわかるが、父と娘の会話が感じられない。
それを検証するかのように、ある日の老人と娘の電話でのやり取りが映し出されるが、理解し合えるコミュニケーションがなく、我を張る老人のやり場のない孤独が突き刺さってくる。
また事件の際偶然客として銀行にいた若い女性は、子供がないためホームレス生活をしていた少年を養子にもらい受けるのであるが、最初孤児施設で自閉的な少女を幼女にしようとする。
しかし少女は洋服や部屋は欲しがるものの、愛情を知らないため動物園で手を握られることを拒否する。
学生マクシミリアンについては、ある日の寮生活での寮生の自殺フラグメンツから始まり、飛び降り自殺した現場を深刻に見つめている。
また相部屋の同僚と賭けパズルをするのが日課となっており、同僚との賭けパズルに負けた学生が賭け金を拒否すると、突然発作的に怒りだしている。
このマクシミリアンは卓球部にも属しており、卓球マシーンを機械のように打ち返し続ける長い長いフラグメンツからは、叫び声が聞こえてくるようである。
何故なら、その後でのコーチの勝つための厳しい言葉のシゴキは、彼にとって脅迫であるからだ。
無差別乱射事件を起こした拳銃については、盗んだ青年が軍施設に勤めていることから、警察捜査の近いことを知り、拳銃の1つをマクシミリアンの同僚に譲り、マクシミリアンが賭けゲームに勝つことで偶然手にしたものであった。
そして両親の下へ帰省するマクシミリアンは、渋滞に巻き込まれる中で事件の銀行近くのスタンドで偶然給油するが、現金支払い機も偶然故障している。
銀行で換えて貰おうとするが、並んでいる客の一人に殴られる。
車に戻り音楽を聴くことで怒りを解消しようとするが、給油を待つ客に怒鳴られ、抑えていたものが爆発したかのように、銃を持って銀行に戻り乱射する。
もちろんそこでは、フラグメンツで描かれた人たちが、偶然という糸に繋がれていたかのように事件を目撃している。
この映画の結末から感じられることは、これらの人たちも生き難い社会で無言の叫びを発しており、誰が感情を爆発させてもおかしくないことだ。
それほど現代の競争社会は非情であり、狂っている。
それを裏ずけるように後半もテレビニュースからは、サラエボ民族浄化、トルコでの民族浄化、そしてマイクロ・ジャクソンの児童虐待など、狂った世界の報道が溢れだしている。
この映画での唯一の救いは、ホームレス生活で盗みを繰り返していた少年が養子にしてくれた義母から、ドイツ語を一言一言、例えばステルン(星)のように学ぼうとしていることであり、両者に愛が流れ始めていることからも、救われる世界へのハネケの手がかりとも言えよう。

*偶然見つけたこの映画のドイツ語完全版は日本語字幕はないが、各々のフラグメントは輝いており、映画制作に挑む若者には素晴らしい教材である(尚ハネケ制作の全ての映画作品は国際映画賞を受賞しており、この映画は シッチェス・カタロニア国際映画祭作品賞及び脚本賞を受賞している)。